【ジョジョ第4部】ストレイ・キャット(猫草):なぜ猫は植物になったのか?

『ジョジョの奇妙な冒険』単行本42巻(Part4 ダイヤモンドは砕けない)、「猫は吉良吉影が好き」の巻以降に登場するキャラクター「ストレイ・キャット(猫草)」について書いてみたい(ネタバレあり)。今回書くのは42巻のこと(登場~屋根裏部屋で川尻早人に発見される)のみとなります。


目次

「邪悪な」ブリティッシュ・ブルー

一匹の猫がストレイ・キャットとなった経緯は以下である。

  1. 矢に射抜かれる
  2. 仮死状態にされ土に埋められる
  3. 植物の姿となって地上に「生える」
  4. 怒りによってスタンド能力を発現させる


矢に射抜かれた猫はブリティッシュ・ブルー種である。この種はロシアでは幸運の前兆とされ、性格はチャーミングで活発、とても愛情深いと言われている(p.54)。そのような種の猫が、おそらくは矢に射抜かれたことによって、それとはまるで正反対の様相を呈することになってしまう。

「タシッ」、「シュキィーン」などの擬音を伴う警戒動作によって、猫は目の前に現れた川尻しのぶの行動を制しようとする。善良であると思われている者が邪悪な者として振る舞うという落差による恐怖の構成は、物語技法における古典的な要素の一つである。

猫はこのとき既に矢に射抜かれており、それゆえスタンド使いである吉良吉影に引き寄せられてこの家の中に侵入したと考えられる*1。喉に空いている一円玉大の穴は矢に射抜かれた痕跡であり、そこから「ニャア~」と鳴き声を発したり、「虫」のように天井に「ひっつく」のは、スタンド能力顕現の予兆と捉えてよいだろう(pp.60-61)。

その後、猫は植物になるのだが、概ねスタンド能力というものは「人間」の能力を超えており、人間を「人間の外部」と結びつけるためのメディアとして考えることが可能である。「虫」や「植物」は人間にはできないことを行う者、つまり「非人間」的なものである(ストレイ・キャットの場合、「非猫」的なものである)。つまりスタンド能力はこのような「非人間」的なすべての領域へと開かれており、わたしたちが世界の中でさまざまなものに対してさまざまなかたちで与えている同一性の区切りをガン無視しながら決定されていく。

本能と欲望のなすがままに生きるということ

猫は(川尻しのぶがホウキを振り回したことによって落ちて割れてしまった)瓶の破片が喉に刺さったことで仮死状態となり、死んだものだと誤認した吉影によって地中に埋められてしまう。雨の一夜の後、猫は既に猫ではなく植物になっており、地面に生えているのだった。

植物になっても精神は猫であり続ける

植物になったとは言っても、目と耳と鼻と口を持ち、一般的な意味で「思考」することができる。確かに、足がないので自分で移動したり跳ねたりすることができない。しかしそれでもやはり、この植物は猫だった頃の「本能と欲望」を手放さないままでいるらしく、このことは吉影によって言葉で描写されている。

  • 何も持っていないのに手をさし出されただけでついだまされて臭いを嗅ぎに来るというところもまるで「猫」だ
  • タバコの臭いにもだえるところも「猫」のようだ
  • 鼻で臭いをかぎ… 耳で「音」を聞いている
  • 不気味なゴロゴロ音をたてて寝に入るところも確かに「猫」だ


「昔 猫だった植物の図鑑(pp.130-131)」によると、雄蕊は髭として、上の葉は前足として、下の葉は尾として、そして根は排泄器として、各部位が猫の生態に対応するものとして機能している。

追想を凌駕する本能による理解

「本能と欲望」のなすがままに生きる猫にとって、追想はつねに中断されなければならない(pp.70-71)*2。つまり、彼は自らに起こることについて、その経験と本能によって瞬時に理解してしまうのである。そしてこのことが同時に意味しているのは、瞬時に理解してしまうこと以上のことは決して理解しないということだ。

しかしこの「本能」はある意味で追想以上に優れた側面を持っている。と言うのも、彼は突然身についた能力の「正体と使い方」を直感で理解し、敵の「殺し方」を本能で理解することが可能であるからだ。

計算でこんな攻撃をしたというのか!?それとも『本能』でやったというのかッ!「血管」の中に空気のかたまりを入れやがったッ!(吉良吉影)
(pp.121-122)


本能は、爆弾の周囲を無酸素化すれば起爆を阻止できるということまでをも感知する。

植物の活動「光合成」と結びついたスタンド能力

ちなみに、ストレイ・キャットの空気操作パワーは光合成によるもの(p.131)で、それゆえ「空気」とは、基本的には光合成によって生じる「酸素」を指すものであると思われる(作品の中で「空気」と呼ばれているのは、操作できるのが「酸素」のみであった場合の万が一の矛盾に備えているためなのではないだろうか)。

確かに植物も呼吸するが、呼吸による二酸化炭素の放出量よりも光合成による酸素の排出量のほうがはるかに多く、しかも光合成によって空気を操作するということであれば、やはりそれは酸素であると見なされてしかるべきであろう*3。おそらく猫と植物に共通している「呼吸」活動はスタンド能力とは直接的には関係のない通常の活動であり、猫が植物になってから新たに獲得した活動である「光合成」のほうがスタンド能力と結びついたのだと推測される。

なぜ猫は植物になったのか?

不思議なのは、埋められた猫がなぜ植物になったかということだ。最も単純な理由を挙げるとするならば「事前に矢に射抜かれていたから」ということになる。

『矢』で射抜かれた傷があったというのは本当だったのだ!たまたま事故で仮死状態になり土に埋められたので『スタンド能力』ゆえこんな姿になり生まれ変わったといったところか…!!(吉良吉影)
(p.94)

存在形態の移行と三つのスタンド能力

矢に射抜かれた者は、スタンドの適性を持つ者であれば「超」能力としてのスタンド能力を顕現させることになる。

普通の猫であれば、仮死状態のまま地中に埋められてしまえばそのまま息を引き取るだろう。しかし、後にストレイ・キャットとなるこの猫は、矢に射抜かれたことによって「非人間」的ならぬ「非猫」的な領域へと自身の世界を拡張しており、地中に埋められた際、生存「本能」と融合しているスタンド能力は自らの存在形態を「猫」から「植物」へと移行させることによってその死を免れたのではないだろうか。

42巻の中でブリティッシュ・ブルー種の猫は三つのスタンド能力を渡り歩いているように思われる。

  1. 「虫」のように天井にひっつく能力
  2. 自らを猫から「植物」に変えてしまう一回限りの能力
  3. 空気を自由に操作する能力(p.111)


本作の定説として、スタンド能力は変化(あるいは進化)することはあるが、基本的には一人につき一つしか現れることがなく、異なる能力を同時に所持することはできない*4。ストレイ・キャットの場合、能力の変化は以下のような関係性において可能となっているように思われる。

すなわち、彼は一度限りの第二の能力を行使するために、つまり自らが生存するために、第一の能力を捨てた(二つの能力を同時に所持できないため)。そして第二の能力はその目的を達成する(猫が植物になる)ことによって終了し、再びスタンド能力はリセットされ、植物になった状態で第三の新たなスタンド能力を顕現させた。

第二の能力は一度きりのものであるとは言え、スタンド使いの身体の有機的構成を根こそぎ変えながら生き続けるわけだから、本作に登場する多くのスタンドの中でも特に「常軌を逸した」スタンドの一つであると言えるだろう。

死者と生者のあいのこあるいは『ペット・セマタリー』

土に埋められた猫は植物になって生きながらえることに成功したが、彼は猫としては一度死んでしまったものだと言うことができる。埋められた者が蘇るのはまるでゾンビのようであり、ストレイ・キャットは言わば死者としてのゾンビ猫と生者としての植物の「あいのこ」のようなかたちで登場するのである。

「埋められた猫が邪悪になって蘇る」という設定は、スティーヴン・キングの『ペット・セマタリー*5』を思い出させる。『ペット・セマタリー』における邪悪さは、死という運命に逆らおうとする人間に対する、死の側からの抵抗のようなものとして描かれているが、本作におけるストレイ・キャットは川尻しのぶへの「恨み」によって攻撃的なスタンド能力を開花させる(p.81)。

(単行本)42巻終了時点では、川尻しのぶが夫への再びの恋愛感情を高めていく中、ストレイ・キャットは暗い屋根裏部屋で何かを待機しているかのように眠っている。


*1:スタンド使いは他のスタンド使いと引き寄せ合うという特性を持っているスタンド(ジョジョの奇妙な冒険)とは (スタンドとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

*2:「頭を使って思い出すのはあと回しにしようと思った」(p.71)。キャラクターが本能のままに行動する様子は、本シリーズにおいて頻繁に目にすることができる(第6部のヨーヨーマッなど)。

*3:光合成については、例えば以下のサイトに詳しいことが書かれている。一般的:光合成と呼吸。専門的:光合成

*4:スタンド(ジョジョの奇妙な冒険)とは (スタンドとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

*5:原題の「Pet Sematary」は「ペット霊園」の意味であるが、英語の正しい霊園のスペルはCemeteryである。これは、「(本作品に登場する)ペット霊園の入り口には、幼い子供の書いた看板がかかっているが、"CEMETERY"を"SEMATARY"という子供らしいスペルミスをしている」と描写されていることから、そのスペルミス表記を原題として採用したものである。1989年にアメリカで映画化された。映画タイトルの原題は小説と同じだが、日本では『ペット・セメタリー』として公開された。ペット・セマタリー - Wikipedia